取材協力:株式会社マスヤ – 加藤様、竹内様
取材対象:ジャパン・フード・セレクション受賞「 おにぎりせんべい銀しゃり 」
株式会社マスヤ

ロングセラー商品『おにぎりせんべい』『ピケエイト』などの米菓製品を、東京、名古屋、大阪、福岡の営業拠点を通して全国に販売しております。親から子、そして孫にも愛される商品を、お客様の期待に応えられるよう作り続けていくことと、「お菓子の楽しさ」をどんどん発信しお客様に絶えずワクワクドキドキしていただけるような、他社に真似のできない新しい菓子ビジネスの確立に取り組んでいます。
創業期について

「 おにぎりせんべい 」はとても馴染み深く、子供の頃から食べて育ちました。当時から既にメジャーなお菓子だった印象があります。御社は昭和40年の創業とのことですが、当初は生菓子の部門もあったのですか?



株式会社マスヤの始まりは、赤福の新事業部門として立ち上がったのが始まりです。米つながりで日持ちするお菓子を作りたいという思いから、「 おせんべい 」を開発する新事業として「 マスヤ食品株式会社 」が1965年に誕生しました。
和菓子などの伝統的な日本のお菓子には、主に「 もち米 」が使われています。一方、私たちが日常的に食べている米は「 うるち米 」と呼ばれ、おせんべいの主原料もこちらとなります。
両者は全く異なる種類のお米ですが、どちらも「 米 」という点では共通しています。つまり、私たちの日常食と伝統的な和菓子は、「 米 」を通じてつながっているのです。



設立当時の状況についてお聞かせいただけますか?



設立は1965年頃(ちょうど高度経済成長期に入る直前の時期)でした。その頃、いわゆるスーパーマーケットが次々と進出し始めていました。スーパーマーケットが急速に拡大していく中、我々は商売として大きなチャンスを見出しました。
日持ちのする流通菓子である「 おせんべい 」をこれらの店舗に供給することで、事業を拡大できるのではないかと考えたのです。
独特の食感はどのように生まれたのか



「 おにぎりせんべい 」独特の食感はどのように生まれたのでしょうか?開発時のエピソードなどがあればお聞かせください。



元々、せんべいは関東が主流で、硬い食感が特徴でした。しかし、これからは柔らかい食感のものが受け入れられるのではないかと考えました。
開発当初から、ふっくらサクサクとした食感を目指しました。当時のせんべいは基本的に丸か四角の形しかありませんでしたが、「 今までにないせんべいを作りたい 」という思いから、三角形のせんべいにチャレンジしました。
このように、新しい食感と形状へのチャレンジ精神が「 おにぎりせんべい 」開発の原動力となりました。
苦労したエピソード



開発過程で特にこだわった点や、苦労したエピソードはありましたか?



当初は、開発技術も生産技術も持ち合わせていなかったと聞いています。その頃、新潟がせんべいの主要な産地でした。そこで、新潟の業者に開発技術を求めたのですが、なかなか教えてもらえなかったようです。



「 おにぎりせんべい 」の醤油味を発売したのは1969年でした。つまり、創業から4年もの歳月をかけて開発を続けたことになります。この4年間は、まさに試行錯誤の連続だったと聞いています。



4年間は納得できる商品がなかなかできなかったのですね。



おっしゃる通りです。技術的な課題が多くありました。ソフトせんべいという新しい食感を追求していたこともあり、開発は困難を極めました。さらに、味付けも非常に難しく、納得のいく味を生み出すのに時間がかかりました。



単に醤油味というだけではなく、だしのうまみにこだわった甘辛いしょうゆの味わいを追求しました。これがなかなかうまくいかず、かなりの試行錯誤を重ねました。現在の味は、そうした努力の末に生まれたものだと考えています。
大きな転換点



「 おにぎりせんべい 」は今や生活に密着したお菓子になっていますね。御社にとって、何か大きな転換点はありましたか?



創業者が発売当時、同郷の量販店の協力を得て、商品棚の一番目立つ売り場に2週間おにぎりせんべいを並べていただいた。当時は1週間で3袋売れたらよいと言われていたが、おにぎりせんべいは1週間で7袋売れたというエピソードがあります。この売れ行きが口コミで名古屋、大阪方面に広がり、爆発的なヒットにつながりました。
「 おにぎりせんべい 」に関しては、昔からほとんど大きな変更を加えていません。もちろん細かな改良はありますが、基本的な部分は変わっていません。
しかし、「お客様は満足しているのか?」とう顧客本位で考え続けることで、2019年に「 おにぎりせんべい 」は発売50周年を迎えることができました。これもひとえにお客様のおかげだと思っています。
こうして50年以上も愛され続けるロングセラー商品になれたことを、とても嬉しく思っています。
長年愛され続けている秘訣



長年愛され続けている秘訣は何だとお考えですか?



「 おにぎりせんべい 」の魅力は、その親しみやすさにあると思います。高級でも特別でもない、日常的に楽しめるお菓子です。手頃な価格で、いつでも気軽に買えて、毎日食べたくなるような味付けと価格のバランスが、長年愛される理由だと考えています。
そしてもう一つの大きな理由に、親が子供に食べさせたいと思っていただける信頼を得てることだと思います。よく親子で楽しめるコミュニケーションツールとして役立っているとのコメントを頂きます。また、子供が食べてもおしいく、大人が食べてもおいしいと思って頂ける味です。
「 おにぎりせんべい 」への愛情を感じるようなエピソード



お客様から「 おにぎりせんべい 」への愛情を感じるようなエピソードはありますか?



2019年に「 おにぎりせんべい 」が50周年を迎えた際のことです。ある方から連絡があり、「 私たちも50歳になるので、同窓会を開くんです。同世代の「 おにぎりせんべい 」を協賛してもらえませんか? 」というリクエストをいただきました。
多くの方が「 おにぎりせんべい 」を同級生のように思ってくださっているようです。まるで人格があるかのように扱ってくださる方もいらっしゃいます。



私たちは「 おにぎりクラブ 」というファンクラブを運営しており、現在約2万6,000人の会員がいます。私が営業本部にいた際、会員の方々と直接やり取りする機会がありました。特に印象的だったのは、「 おにぎりせんべいサミット 」と呼ばれるイベントです。
これを大阪、名古屋、福岡、東京で開催しました。参加者の皆さんの「 おにぎりせんべい 」への愛情は想像以上でした。まるで友人に会いに来たかのような雰囲気で、皆さんの熱意に圧倒されました。イベントでは、参加者の熱量が非常に高く、予定通りに進行できないほど盛り上がりました。
サミット後、会員の中から「 おにぎりせんべい 」の普及に積極的に協力してくださる方々が現れました。特に関東地域での展開に熱心な方々を「 おにぎりせんべい大使 」として任命し、一緒に活動していただきました。
埼玉や東京でイベントを開催する際には、これらの大使の方々が必ず参加してくださいました。彼らは自主的に同僚や知人に「 おにぎりせんべい 」を買って配ったり、その魅力を広めてくださったりしました。



アイドルを推すように「 おにぎりせんべい 」を推してますね!



ファンの方々の熱意は並々ならぬものがあります。特に印象的だったのは、コロナ禍直前の頃のことです。
関東地域での「 おにぎりせんべい 」の認知度向上に課題を感じていた時期でした。多くの方から「 どこで売っているのかわからない 」という声を聞いていました。
そこでファンの方々に販売場所を見つけたら教えてくださいとお願いしました。それを我々がGoogleMapにマッピングして、それを会員専用サイトで公開して、ファンの方の力を借りて、ファンの方に貢献するというモデルを作りました。
一番大切にしていること



会社が一番大切にしていることは何ですか?



マスヤが最も大切にしているのは「 みんなが幸せになれる会社をつくりましょう 」というミッションです。これは単に一部の人だけでなく、全ての関係者が幸せになることを目指しています。
「 おにぎりせんべい 」を通じて、日常の豊かさづくりに貢献し、世代を超えて愛されるお菓子を作ること。お客様に「 いつ食べてもおいしい 」と感じていただけるような商品を提供すること。
その為に従業員としてどうあるべきかを常に考え、コミットメントを持って行動すること。
そして、事業を通して地域の豊かさ作りに貢献することです。
ジャパンフードセレクション受賞



その結果の1つとして「 ジャパンフードセレクション 」を受賞されましたね。この受賞についてのお気持ちをお聞かせください。





受賞した商品は、「 おにぎりせんべい 」のセカンドフレーバーである「 銀シャリ 」です。この「 銀シャリ 」は2012年に発売した塩味の商品で、ここ2、3年で急速に人気が高まっています。
当社は長年「 おにぎりせんべい」の醤油味と、ピケエイトという2本柱で事業を展開してきました。新商品開発も行ってきましたが、多くは一時的なものでした。しかし、「 銀シャリ 」の成長を受けて、これを新たな柱にしようと取り組みを進めています。
ジャパンフードセレクションへの応募は、フードアナリストの方からの推薦がきっかけでした。ちょうど「 銀シャリ 」の10周年の時期がコロナ禍と重なり、イベントが開催できなかったこともあり、この機会を活用して「 銀シャリ 」に再度注目してもらう良いタイミングだと考えました。
グランプリ受賞は非常に嬉しく、受賞後1年経った今も売上は好調で、お客様からの評価も高いです。「 銀シャリ 」は現在、急成長中の商品となっており、この状況を素直に喜んでいます。



おにぎりせんべいの開発に4年かかったそうですが、「 銀シャリ 」の開発はどうでしたか?



当時の担当者から直接話を聞くことはできませんが、聞いた話によると、「 銀シャリ 」の開発も同様に試行錯誤を繰り返し、細部にこだわって作り上げたそうです。
具体的な例を挙げると、表面に付ける粒塩の製法や、使用する塩自体の選定など、細かな部分に非常にこだわったと聞いています。何種類もの試作品を作り、検討を重ねたようです。



そうですか、美味しいお塩なんですね!



私たちは少し変わった塩を使用しています。この塩には海水に含まれるミネラルが豊富で、単なる塩味だけでなく、何か旨味を感じさせるまるみのある味わいが特徴です。
塩の使い方にも工夫があります。表面に粒塩をつけているのが1つのポイントです。これにより、食べた時に舌先に当たると塩味を強く感じられる一方で、粒塩がついていな部分は米のうまみを感じてもらえるようにしています。それにより、全体的にもバランスの取れた塩味を楽しめます。
この濃淡のある塩味が、食事をより豊かにし、美味しさを引き立てると考えています。社内でもこの点について議論を重ねてきました。



ジャパンフードセレクションを受賞後、売上に変化はありましたか?



グランプリ賞の影響を直接的に測ることは難しいですが、いくつかの要因が重なって売上が大きく伸びています。まず、コロナ禍の影響で「 巣ごもり需要 」が増加し、家庭での消費が全国的に増えました。これが追い風となりました。
そして、ジャパンフードセレクションでグランプリを受賞したことで、スーパーマーケットやお客様へのアピール力が高まりました。パッケージにもグランプリ受賞の事実や、フードアナリストの方々からの評価ポイントを記載しています。
この結果、ここ3年ほどで前例のない売上の伸びを記録しています。グランプリ受賞は、この成長における重要な転換点の1つだったと考えています。
最後に



最後に今後に向けて一言お願いします!



私たちは「 銀シャリ 」を単なるフレーバーの一つとして扱う段階は終わったと考えています。今後は「 おにぎりせんべい 」と並ぶ新たな柱として位置づけていく方針です。
具体的な売上目標も設定しており、将来的には「 銀シャリ」が当社の売上の中でかなり大きな割合を占めるまで成長させたいと考えています!
そのことにより、おにぎりせんべいしょうゆではカバー出来ない、お客様のニーズをとらえて、より多くの方々の日常の豊かさづくりに貢献していきたいです。



本日は素敵なお話ありがとうございました!











